東京地方裁判所 昭和32年(刑わ)3722号 判決 1958年2月17日
被告人 宮内照彦
主文
被告人を懲役八月に処する。
未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。
理由
被告人は、昭和三十二年八月八日午後二時頃東京都新宿区西大久保所在の新宿職業安定所附近で顔見知りの坂田正義および今井長可に出会い、三人で新宿へ遊びにゆくこととなり雑談しながら歩いてゆくうち、二十二、三歳の氏名不詳の男も仲間に加わり、皆で新宿方面に向つたが、途中新大久保駅附近を過ぎる頃坂田か、今井かが「金がないからカツでもしようか」というと、他の者もこれに同調し、ここに全員は共謀して金品を喝取しようと企て、同日午後三時頃同区百人町三丁目八十九番地附近にさしかかつた際、たまたま前方から高校生大村武男(当十七年)が近づいてくるや、これとすれ違う瞬間矢庭に今井が手拳をもつて大村の顔面を殴打し、他の者が大村を取りかこみ、こもごも「おれ達は刑務所を出たばかりだ。」「鑑別所を出たところだ。」などと申し向け、更に今井が柄のついた軽自動車用チエーン(昭和三十三年証第七十七号)を示すなどして大村を畏怖させた上、即時同所において同人からその所有の腕時計一個(時価約三千円相当)の交付をうけてこれを喝取したものである。
(証拠・法律の適用)(略)
(被告人の弁解および弁護人の主張に対する判断)
被告人は、当公廷においては、「恐喝の意思は全然なく、ただ皆の後について行つただけである」と弁解し、弁護人は、「仲間の一人が恐喝でもしようかといつたのに対し、被告人は黙認していたにすぎない。黙認は容認と異るから、被告人に共犯の責任はない。」と主張しているので、この点について簡単に補足説明する。前掲各証拠によつても、被告人が本件恐喝について主動的役割を演じたものでないことは、疑いない。しかし、被告人が、坂田か、今井かが「カツ(恐喝の意味)をしよう」といつたのを聴きながら、何らちゆうちよすることなく一緒について行つたこと(被告人の当公廷における供述)、それは、今井がその際恐喝の合意が成立したと考えるような状況であつたこと(今井長可の当公廷における供述)被告人が今井がチエーンをもつていることを知つていたこと(今井長可の当公廷における供述および同人の司法警察員に対する供述調書)、今井が大村を殴つた後被告人も他の者とともに一メートル位の距離で大村を取りまくようにしていたこと(大村の当公廷における供述)等によつて被告人もまた、本件恐喝の共犯者であると認める。この認定の正しいことは、被告人等が新宿に行つて映画をみるか、パチンコをしようと相談しながら、皆ほとんど金をもつていなかつたこと(今井、坂田、被告人等の司法警察員および検察官に対する各供述調書)および被告人が他の者とともに喝取した時計を入質に行き、得た金で飲食したこと(被告人の検察官に対する供述調書その他)によつても、裏づけられるところである。以上の理由によつて、被告人の弁解および弁護人の主張は、これを採用しない。
(量刑の事情)
最後に量刑の事情について一言する。
被告人は、昭和三十二年六月三日中野簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年、ただし五年間刑の執行を猶予し右執行猶予期間中保護観察に付する旨の判決言渡をうけ、現に執行猶予中の身である(被告人に対する右判決謄本参照)それにもかかわらず重ねて本件犯行に出たことは、まことに遺憾である。特に、被告人に自戒の精神が乏しく、正業に励む熱意が欠け、無反省に他人の行為に追随する弊が認められるのは、遺憾にたえない。これらの点から考えると、犯情は決してよくない。しかし、被告人が、本件犯行において何ら主動的役割を演じたものでないことは、先に述べたとおりである。また、被告人が本件訴追によつて相当打撃を受け、内心密かに悔悟していることも、認められないわけではない。更に被告人の両親が被告人のために心痛し、その速かな更生を念願していること、被告人のために示談したこと等も、有利な情状として斟酌されなければならない。以上の理由で、主文の刑を量定したわけである。
そこで主文のとおり判決する。
(裁判官 横川敏雄)